認知症は発症すると何もできないということではなく、認知症になっても自分らしく生きられる社会にしようという試みが始まっています。
宮城県栗原市で暮らす元小学校校長の遠藤実さん(64)は4年前、若年性のアルツハイマー型認知症と診断されました。病気と向き合いながらも、やりたいことを精一杯しながら日々を過ごしています。支えになっているのは、地域の人たちとのつながりです。
小学校の教諭として36年間働き校長も務めた遠藤実さんが異変に気がついたのは、退職前でした。生活の中で、おかしいなと思う事が起き始めたと言います。
遠藤実さん「時計の見方が分からなくなったりいつのまにかそういう事もあって、更にこれって何時、何時って(妻の)麻由美に言うようになって。本当なのだろうかというところから始まりますよね」
校長としての仕事は慣れもありこなせましたが、退職後の新しい職場では混乱が続きました。
遠藤麻由美さん「大崎市と栗原市を行ったり来たりしないといけなかったんですが、曜日で。でも曜日が分からない。どっちに行ったら良いか分からない」
遠藤さんは校長を退職して2カ月後、若年性のアルツハイマー型認知症と診断されました。
遠藤麻由美さん「まさか60歳の主人が認知症って言われた時には、多分主人もだと思うんですけど2人とも頭が真っ白になってしまって」
病気を受け入れられなかった遠藤さんは、夜に外で叫ぶこともありました。
遠藤実さん「ここから先、本当にどうしたら良いんだろうという気持ちが大きかった」
落ち込む日々が続いた遠藤さんですが、このままでは駄目だと前に進む決意をしました。
遠藤実さん「自分がやる。やれることを探したい。ある瞬間そういう気持ちが芽生える時があった」
遠藤さんが認知症であることを周囲に打ち明けると、手を差し伸べてくれる人が次々と現れ栗原市のオレンジカフェに通い始めました。月に1回、認知症の人や家族が交流し地域で孤立させない取り組みを進めています。
遠藤実さん「みんなでできることや楽しめることを探して、一緒にやっていきましょうと。
これだけでも良いなと思いました」
オレンジカフェの運営の中心を担う川村幸雄さん(73)は、認知症の母親の介護の経験があり当事者や家族の苦しみを知っています。
オレンジカフェ川村幸雄さん「地域の中でも認知症になった方がなかなか出て来ない。家族の方も認知症なれば外に出せばみんなに迷惑掛けるから外に出さない」
遠藤さんは週に4回ほど、地域の障害者施設に通っています。この日は他の利用者とごみ拾いをしました。
遠藤実さん「みんなと歩いて話したり、何したりそういうのが結構楽しく」
遠藤さんが施設で一番楽しみにしていることは、大好きな歌の披露です。施設では遠藤さんが活躍できる場をつくろうと、絵本の読み聞かせを任せています。
遠藤実さん「これも良いかもしれないな。色々な絵本をチョイスしてみて、これが良いなということを今度みんなの前でお話をして」
この日は、宮沢賢治の「注文の多い料理店」を読み聞かせました。
施設利用者「遠藤さんは素晴らしい方です。いっぱい教えてもらってますいつも。人当たりも良くてね」
遠藤さんは、宮城県が認知症を正しく知ってもらおうと設けた応援大使を引き受けました。
遠藤実さん「私たちの周りには愛が本当にたくさんあふれています。私はこの事を大使として多くの人たちに伝え、勇気づけていきたいと思っているところです」
遠藤さんは応援大使として自治体の職員などに自らの体験を話し、認知症の人たちを地域で支える大切さを伝えています。
遠藤麻由美さん「(認知症になると)何にもできない人になっちゃうんだと、自分たちのレッテルを張ってしまったために動きが取れなくなった。できないこともあるが、できることがたくさんある。だからできないところは手助けしてくださいとか胸を張って言える社会とか、地域になれるといいのかな」
遠藤実さん「色々な人たちと関係を持ってやっていければ。楽しい人たちと一緒に色々な事できるんだろうなとかね。そういう気持ちになれたのは、自分としてもやっぱりうれしかった」